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株式会社北陸ヨシナカはステンレス異形線と特殊帯鋼の二次メーカーです。

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ヨシナカ社員つぶやき
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日々の仕事や暮らしの中で感じた事を、弊社社員が呟きます。

2017年7月10日

1年前にもこちらの『ヨシナカ社員つぶやき』で紹介させて頂きました毎年恒例の学生時代からの友人たちと6月初旬に小田原・箱根方面へ行って来ました。

箱根を訪れるのは今回で二度目ですが、前回行けなかった大涌谷へ訪れ、地熱と火山ガスの化学反応を利用して作られた『食べると寿命が延びる』といわれる黒たまごを食べ、箱根湯本の温泉に入り日頃の疲れを癒して来ました。

《平安時代 弘法大師によって作られたといわれる延命・子育ての地蔵「延命地蔵尊」と言うお地蔵様があります。このお地蔵様にあやかり「黒たまご」を食べると寿命が延びるといわれるようになったそうです》



小田原では、新幹線で東京から大阪方面に向かうと車窓から左手に見える、難攻不落の城として有名だった小田原城に行って来ましたのでそちらについて紹介します。

《 小田原城は、15世紀中頃に大森氏が築いた城を前身として、北条早雲(伊勢宗瑞)に始まる小田原北条氏の本拠となって以降、関東支配の拠点として整備されました。

そして、豊臣秀吉との小田原合戦を前に周囲9kmにおよぶ総構を構築し、日本最大級の城郭となりました。北条氏滅亡後には、徳川家康の家臣である大久保氏が城主となります。小田原城は、北条氏時代の姿を継承しつつも、改修されながら用いていきますが、大久保氏
の改易により破却されることとなりました。その後、稲葉氏が城主となりますが、寛永10年(1633)の地震により、城も城下も潰滅的な被害を受けます。そのため、稲葉氏は小田原城を大規模に改修し、小田原城は現在見られるような近世城郭としての姿に生まれ変わりました。


明治維新を迎えると、明治3年(1870)に小田原城は廃城となり、建物は解体・売却されますが、昭和35年(1960)に江戸時代に造られた模型や引図を基に、現在の鉄筋コンクリート造で、三重四階の天守に付櫓・渡櫓を付した姿に復興されたそうです。》

『小田原城 天守閣小冊子より』

今年も有意義で楽しい一泊二日の旅行でした。
来年は、香川県の讃岐うどん巡りでも行こうかと検討中です。

                         大阪営業 H



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